安倍晋三総理が掲げてからよく目にするようになった「美しい日本」という概念を、一番最初に掲げたのは文豪・川端康成でしょう。
戦争で多くの友を失い、失意のどん底にあった川端は「自分が死ねば滅びる『美』があるように思った。日本の『美』の伝統のために生きようと考えた」と語り、「骨を削って、血を吐いて、文学へ向かった」とも述べています。そして、『雪国』で日本人初のノーベル文学賞を受賞し、ストックホルムでの授賞式の講演が「美しい日本の私」です。
講演を同時通約した、世界的な日本文学の翻訳者サイデンスティッカーは、川端に「美しい日本の私とは、とても曖昧な表現で英訳できません。正確にはどのような意味ですか? 美しい日本に住む私? 美しい日本と私? 美しい日本と、美しい私? 美しい日本の子である私?……」と訊ねますが、川端は答えてくれません。
仕方ないので、「Japan,the Beautiful,andMyself」と「逃げて」英訳したそうです。
しかし、サイデンスティッカーは、そんな川端の日本語が大好きで、論理的ではないからこそ、思いを巡らせることもできる豊かな言語表現に魅了された、と語っています。
数年ぶりに伊勢神宮に参拝させていただき、あらためて神宮は日本人だけでなく、人類の至宝なのだと実感いたしました。このような聖地を二千年以上守り続けてきた先人たちには、本当に頭が下がります。
当たり前のことなのですが、日本という国は、今生きている人間だけで成り立っているわけではありません。素晴らしい先人たちがいて、脈々と受け継がれる文化があり、四季折々の豊かな自然があり、海に囲まれ、山があり、美しい水が湧いて……、実に様々な要素で成り立っているのです。
ところが、GDP とか経済指標による判断だけで、日本のことを「オワコン」とか「沈んだ国」とか言っている日本人をよく目にするようになりました。例えば、春一斉に花を咲かせる桜だけでも、この日本に生まれて儲けものだ、と思うのですが……。
簡単に「オワコン」と断定してしまうようでは、この美しい大地に住む資格を、八百万の神々から奪われてしまうのではないでしょうか。そのような日本人は締め出されてしまい、したたかな外国人の大地となってしまうのでは……と非常に危惧しています。
「西洋庭園がありのままを観て楽しむものならば、日本庭園はそこにある石や木を観て、その中にひそむ何かを感じるものだ」とは、「平成の小堀遠州」とも称される当代随一の作庭家・北山安夫氏の言葉。
では、何を感じるものなのか?
インドの大聖者シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール師は、
「個人というものは、大海原の一つ一つの波のようなものなのです」と教えています。神と分け御霊の関係と同じです。
西洋の「美」は、個人という波に磨きをかけ、存在感のある「個」を表現しています。
一方で日本の「美」は、石や草木にひそむ小宇宙、内なる神を感じ、大海原との一体感を、大自然・大いなる神との一体感を目指したのではないでしょうか。「個」だけではなく、あらゆる「いのち」(八百万の神々)への賛歌なのだろうと思います。
だからこそ、今ますます「個」の分断が深まる世界に、日本の「美」を、大和心を伝えていく意義があると思うのです。千利休のように、今こそ日本の「美」を。
トップ脳外科医・篠浦伸禎先生が前号、前々号で右脳主体の社会や精神が理想だとおっしゃっていました。
幸福を感じるのは右脳であり、右脳は集団の中で役割を果たしていく一元論の世界。
一方、左脳というのは相手に勝つという精神、善か悪かとか常に分けていく二元論の世界。この左脳主体ではひたすら競争を繰り返し、強い奴だけが生き残る格差社会となる。そのような左脳主体の現代社会から、右脳主体の日本精神に立ち返ろう!と訴えていました。
ちょうど時を同じくして、インドの聖者の興味深い教えを聞きました。
「心配事があるなら、それを歌うと良いのです」とのこと。例えば「アメリカで仕事が見つかるのか?」と心配なら、アメリカ国歌のメロディで「仕事が見つかるかな?」と歌ってみる。
「心が静まりますね。心配事を歌うと、それは心配ではなくなります。心配はあなたの左脳に詰まっているエネルギーです。歌うとエネルギーが右脳側に流れるのです」。
ぜひ試していただきたい、目から鱗の教えでした。
最近、家の周囲のあちこちで大規模な建て替え工事が行われ、 大好きだった桜の巨木が三本も伐採されてしまいました。その うちの一本は、家の主人が氏神様の神社の宮司をお呼びして、しっかり神事を行ってから伐採されたようです。その家の塀に 詳細を報告する大きな紙が貼られていました。
しかし、閉園された幼稚園の敷地内の、二本の桜はひどい惨 状でした。外国人労働者たちがショベルカーで段階的に捻り切 るようにして、数日間かけて削り取っていき、最後は根こそぎ 持って行きました。近所の人たちも口々に「これはひどい」と 嘆いていました。 今、その二本の桜がいなくなった広い宅地は、予定していた 建売住宅の建設工事が完全にストップしています。すでに半年 以上も完全に放置され、人の背より高いセイタカアワダチソウ の群生地となっています。
30年前、私が修行していた植木屋の職人さんたちなら「桜の呪いだな!」と断言したでしょう。地鎮祭もしない、生命に 対する畏怖の念などまったく感じさせない建築現場がますます 増えている昨今、心配です。
今号の取材において、魂を揺さぶられズンと響いた言葉が、 世界最高峰の舞台でチャンピオンとして激闘を繰り広げてきた総合格闘家で、実業家の三﨑和雄氏がおっしゃった言葉です。
「今日まで二六六三年続いてきた、この日本という素晴らしい国を、万が一でも我々の時代で途絶えさせるようなことになれば、この時代に生きている日本人は〈人類史上、最も恥ずべき 人類〉となります」
この日本は、天才物理学者アインシュタインはじめ、世界 中の錚々たる方々も認めている素晴らしい国です。ところが、我々、現代人の「我」、自己保身や偽善がそのような情けない 事態を招いてしまいかねないような状況でもあります。〈人類史上、最も恥ずべき人類〉 という言葉に、圧倒的な説得力を感じました。
「私はそうならないため、最後の一人になっても闘い続けます」とおっしゃっていた三﨑さん。
「三﨑さんのような実践者、武士道の典型といえる生き様を見ていますと、日本人はやはり生き残ると思います」という、行徳哲男先生の明るい言葉も信じようと頷いた次第です。
今号で宮大工の女将さんが書かれている「腕の良い職人は言葉が少ない。弁の立つ職人の腕はそうでもない」ということは脳科学でも証明されている、という話には非常に感動いたしました。
ものづくりの脳を使い続けると言語野が縮み、言葉が出にくくなるとのことです。
70歳を過ぎた棟梁でさえも言葉少なに「まだ納得のいくものを建てたことがない」と呟いている世界は、まさに日本らしい「粋」な美意識を感じます。
ところが、残念ながら今や日本人もすっかり欧米化してしまい、自分をいかに上手くプレゼンテーションするかということに頭を使っています。楽をして手を抜いた仕事をし、弁でカバーすることによって、売上や、利益率を上げたりしている状況なのです。
いかにも欧米らしい「弁護士」という仕事はまさに歪んだ人間社会を象徴しているのではないでしょうか。例えば、弁護士が人を何人も殺めた犯罪者を無罪に出来たら、腕の良い弁護士として認められ、高収入も得られるのです。
やはり、宮大工のような仕事こそ日本の希望だ、と感じ入った次第なのです。
何十億もの負債を背負い、死に場所を求め、逃避行していた盆栽好きの社長が、見納めだと覗いた盆栽園。手のひらに乗る鉢の中で生きる草木を見て、その「いのち」があまりに尊く美しく、涙が止まらなくなったそうです。30年以上盆栽をやっていましたのが、初めての発見でした。そして、もう自ら命を絶つことは止めよう、と自宅へ戻ったのです。
日本美の神髄は「いのち」と「気づき」。
「明るさと強靭な生命力こそ、賞玩すべき美の源泉がある」「茶の湯は、こころを解き放つのがなにより」とは千利休。「こころを研ぎ澄ますならば、茶入の釉にさえ、宇宙深奥の景色を読みとることができる。見る者に器量がなければ、ただの土くれよ」とは天下人・豊臣秀吉。日本独自の四季のある豊かな風土が、古より人々の美意識や人生観を育み「和」の文化を成熟させました。欧米の文化人やセレブをも魅了した芳醇なる日本の「美」と、神社が人類を導きます。
千年以上続いている、神奈川県大磯の「国府祭」の祭事の中心が「座問答」です。これは一の宮・寒川神社と二の宮・川匂神社が一番手を争い合い、三の宮・比々多神社が「また明年まで」と仲裁の声を上げて、神事が終わります。「こっちが正しい。そっちが間違っている」ではなく、「また来年にしましょう」と仲裁しているのです。このような神事を一千年以上継承しているところに、日本人のご祖先様、神様の知恵を感じます。
今や現代人はすっかり一神教の西欧型の思考パターンに陥って、「こっちが正しい。そっちが間違っている」と国民全員が弁護士みたいです。しかし、誰しも間違いはあるし、科学的な思考を身につけていれば、何事も100パーセント正しい真実など科学的に証明できないことが分かります。だからこそ、様々な意見があってもいいし、八百万の神々が「まあまあ、また来年に」と認め合う社会を、これから日本が世界にどう提言できるかです。そこに、この国と、人類の将来がかかっているのではないでしょうか。
17年前、まだ盆栽の仕事をしていた頃、南麻布のフランス大使館で「バカラ」のトップをはじめ欧州・日本の経済人が集うパーティがあり、錚々たる盆栽を展示しました。その時、欧州のトップたちがとても盆栽文化を褒め称え、その精神性についていろいろ質問してくれるので、つい嬉しくなって「日本の社長さんたちは盆栽の値段しか訊いてこないのです。興味を持っていただき光栄です」と言ったら、日本の経済人と一緒にしないでください、とのお言葉。
「私たちは、どのような文化を残し、どのような社会をつくり、人類がどのように進んでいくべきか考えながら事業をしています。経済的な利益しか追求できない日本人とは違います」と言われたことをよく覚えています。
当時は忸怩たる思いもしたのですが、神道を知った今なら、反論したいところです。どのような文化を残すべき、とか自分たちで決められると思い上がっているから、間違いを犯すのではないでしょうか、と。これからは、日本文化の時代なのです!
日本の心の文化というものを追求し続けてきたご高齢の文学者と数年間、お仕事をさせていただいたことがあります。その方は、心の底でずっと「何が本物なのか?」と問い続け、人生を旅してきたと語っていました。そして、一遍上人の「捨ててこそ」いう言葉には、日本人が本当の真実に到達するための、究極の境地があると教えてくれました。
また、「百尺竿頭すべからく歩を進むべし、十方世界これ全身」という禅語にも。最高の突端の行き着くところまでのぼりつめても、そこからもう一歩足を踏み出しなさい。そうすることによって、身を捨てる、自分を捨てる。その瞬間、我執が、自分に対するこだわりや執念が消え失せ、それまで目に映らなかったものが見えてくる。広い世界、大自然の生命と一体化する、というのです。
日本の芸事も「何が本物なのか?」と突き詰めていくと、結局そういう問題に突き当るそうです。内なる神と出会う、それが古来から日本人の最高の生き様の真髄ではないでしょうか。
コロナ禍となってから、この一年半、自宅の周囲を散歩する機会が増えた。週二回以上は氏神様にも参拝するようになった。常駐する神主のいない、町内会で管理している小さなお社だが、巨木が聳える境内は結構広い。毎日のように近所の子供たちが遊んでいて、見るからに悪ガキそうな子が鬼ごっこや隠れんぼをしていたりする。
しかし、感心するのは、お社の階段やその縁で遊ぶことはあっても、決して結界の中には入って行かないことだ。隠れんぼでお社の中に潜むような悪ガキなどいない。監視する大人もいないのに、聖域はしっかり守られているのだ。子供たちの親がちゃんと教育しているとも思えないのだが……。
ゴミを捨てられる空き地に鳥居を建てたら、捨てられなくなったという話を聞いたこともある。神様なんか信じないと言う学生たちに、お守りをハサミで切ってみろと教授が言ったら、みんな躊躇したという話もある。なんとなく、見えないもの、神様や霊を恐れている。そんな日本人の霊性は、民族の素晴らしい財産ではなかろうか。
広報部は連日、社長や管理職の公私にわたる所業を責めてばかり。社員は自分のことしか考えていなくて「給料が安い」「上司が悪い」と文句ばかりで、会社がどうあるべきかとか、どういう新商品を創ったり、サービスを提供すべきか、ということにはまるで無関心。そんな会社が繁栄するはずはありません。
今の日本は、まさにそんな状況に陥っているのではないでしょうか。そういうことを日本の広報部にあたる、某大手マスコミの編集者に指摘したら「本気で日本の将来を考えているのですか? そんなマスコミの人、私は知りません」と答えてきました。お仲間はみんなスキルを上げ、国際舞台での活躍を考えておられるそうです。そんな無責任なマスコミの影響も受け、大衆の意志形成がなされている状況なのです。
そもそも、国や会社と「個」を対立させて考えること自体が、根本的な間違いです。
意見するのは良いのですが、国も会社も家族のように捉え、自分もその一員という認識がまず第一にあるべきです。そして建設的に、日本という国や社会がどうあるべきか? と真剣に考えていきたいものです。
家族でも毎日ただ非難の言い合いをしていたら崩壊するだけです。崩壊しても良い、と思っているような人の意見などは、そもそも論外なのです。
すでに9回南極へ行った自然哲学者・永延幹男先生が今号で語ってくれた、アマゾンでの神秘体験に魅かれます(53ページ参照)。月が煌々と輝く真夜中、ジャングルの木々と意識が一体となり、やがて地球全体に溶け込んでいくような感覚を味わったそうです。
以前、クリエイティブディレクターの小橋賢児さんから伺ったお話も素晴らしかったのです。山登りをしていて、ある時集中していて「ゾーン」に入って「クライマーズ・ハイ」のようになった。ロッククライミングしていても、触れるだけで瞬時にどの石を掴めば良いか分かる。山の気持ちまで分かってしまう。気づいたら、あっと言う間に頂上まで登っていて、溢れる涙が止まらなかったそうです。
「ゾーン」とは、集中力が極限まで高まり、他の思考や感情、雑音等が意識から消え、感覚が研ぎすまされ、行為に没頭する意識状態のことです。トップアスリートが勝利の理由として挙げることもよくあります。レーサー鹿島さんもカーレース中、目前でクラッシュが発生した瞬間、ハンドルを切るべき方向が瞬時に青いラインで示された、と言います。
我が消え「無」となった瞬間、閃きが降りてきます。すべてのいのちは繋がっている、随神の道なのです。そのような霊性を、皆が取り戻せたら、再び日本も輝きを取り戻せるのでしょう。
一昨日、僕に生命の素晴らしさを教えてくれたのは、台所のセリでした。数日前、料理に使った後の根元を妻がコップに挿したのです。
わずか数日で、茎の切り口から瑞々しい新芽を出していました。その新緑がなんとも鮮やかで、その造形がなんとも美しいのです。
妻がセリに水を与えているのは、大きくして、また食べるためです。ところが、セリは「私はこんな狭いコップの中で、食べられるため水を与えられている。こんな惨めな人生は嫌だ、奴隷以下だ」などと、嘆くこともなく、与えられた水と、光を精一杯吸収して瑞々しく生きているのです。その姿が凛々しく、なんとも美しいのです。
もし、セリが与えれた水や光に悲観し、ひたすら嘆いていたら、そんな「美」が現れてくるとは、とても思えません。「ああ、人間だけなのだな」と、思いました。まさに与えられた今の命に感謝することなく、「あれが足りない!」「これも足りない!」「差別だ!」「保証だ!」と眉間に皺を寄せ、嘆き、生きているのです。
神道が理想と掲げる精神として、「中今」の精神があると教えていただいたことがあります。過去も未来もなく、今まさにこの時を八百万の神々に感謝し、生きる。その境地はまだ人間には難しいようですが、台所のセリが教えてくれるのです。
日本は平均寿命が長いと言われていますが、その実態は不健康寿命、寝たきり寿命がなんと10年間もあるとのこと。
私の母も認知症で、まったく何も分からなくなり、寝たきりで既に5年。歯も無いので流動食を食べさせてもらっていますが、食欲はあるようで「とても元気です!」と施設の方に明るく言われても、非常に複雑な心境になってしまうのです。
2040年になると85歳以上の方が一千万人を超え、彼らを動けない人々として支えたら間違いなく日本は破綻すると、S 氏に教えていただき、ぞっとしました。また、自分が動けなくなり、何も分からなくなった時、ただ流動食を食べさせてもらったり体を拭いてもらうだけの状態で、家内や息子、誰かに面倒をみてもらいたいとはまったく思えません。
そのような難問の対策として、健康長寿社会を目指した企画「神社カフェ」というものがあることもS氏に教えていただきました。お年寄りから子供までが楽しめる「憩いの場」を神社 に創っていこうと活動されています。
今号で民俗学者・山崎敬子先生がおっしゃっているように、誰もが来れる、誰もが居れる場所、三世代の心に刺さる空間・神社。どうやら、健康長寿社会の鍵も神社が握っていそうです。
神社の拝殿に鏡が置いてあるのは、自らの内なる神(分け御魂)に気づいてもらうため、「かがみ」の「が(我)」を取ると 「かみ(神)」となる。つまり、鏡に映されている自分自身こそが神なのです。まさに真理の教えだと思います。
いまだに国難は続いています。世界中で厳しい状況が続いて います。 しかし、だからこそ今、誰もが内なる神(分け御魂)を目覚 めさせ、元氣(元の「氣」)になるべき時ではないでしょうか。 内なる神(分け御魂)を目覚めさせ、あらゆる事物や現象に神々 の働きがあることを感得し、感謝できるような「神々の国」日本を復活させていていくべき時ではないでしょうか。
今号に登場していただいた方々の中で最年少の小橋賢児さんは、まさにそのようなことを世界に広めていく若きリーダーの 一人だろうと思いました。この資本主義(自由主義経済)社会 の中で、強烈な個性の競い合いから生まれた、タフで我の強い リーダーではなく、それそれの「個」を認め生かし合っていく「心の時代」のリーダーだと思います。 小橋さんがおっしゃるように、「心の時代」を世界にケアす るは日本なのです。
平成23(2011)年、東日本大震災の年に創刊し、10周年を 令和2(2020)年 10月に迎える本誌。まさに日本が激動の年に生まれ、世界が激動の年に10周年を迎えます。
創刊の際の挨拶文は、今でもそのまま使えます。
「地球温暖化、資源の枯渇、生物種の大量絶滅......、今、人類全体が大きなターニングポイントを迎えています。2030年以降の未来を絶望視する科学者も少なくありません。
今こそ、私たちが生き方を変えなければ、人類の存続自体が危ぶまれています。
自然との共生。「和」をもって良しとなす。かつての日本人の良き文化と精神が今こそ、全世界で生かされるべきなので す。」
感染症の蔓延までは予測していませんでしたが、現在もそのような状況はまったく同じであり、今ではより多くの方々がそのことを実感しているのではないでしょうか。
新型コロナウイルスの影響も絶大ですが、今こそ日本人みん なが心をひとつにして、社会を立て直していくべきでしょう。 そのためには、何千年も受け継がれてきた神道の知恵は、非常に有効なのです。今号で、ウィルチコ・フローリアン氏(久居八幡宮禰宜)がおっしゃっている通りです!
5年前に著名な武道家から聞いた言葉で、今でもよく反芻しているものがあります。
「現代社会では、命そのものが一番大切だと考えられているが、むしろ、この命をかけてやることがあるからこそ、生きることに価値があるのだ」
今号の特集で日本野菜ソムリエ協会・福井栄治理事長が、どんな組織でも目的と手段がごっちゃになってしまい、「手段が目的化する」という話をされました。
まさに、生きることも、生きるためにお金を稼ぐことも、本来は手段ではないでしょうか。
では、その目的とは?
幸せになること?
命を後世へと繋いでいくこと?
しかし、どうしたら幸せになれるのかハッキリ分からない。
命を繋いでいくことには、意義が見出せない。だから日本社会は今、閉塞感に包まれているのでしょう。
答えは神社にあるのです! と私は思います。
本当に不思議でしかたないのだが、独裁国家の台頭を嘆き、 日本国存亡の危機を真剣に声高に訴えているのに、その視野に地球環境問題や地球温暖化は入っていない、という人が多い。 世界中の科学者たちや IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が嘘を言っている、と思っているのだろうか。あるいは、利権とか絡むし、どう手を付けたら良いのか分からない問題だから 放っておけ、と考えているのだろうか。
しかし、存亡の危機という、切実なところは同じだと思うのですが……。
一方で、地球環境問題や地球温暖化を真剣に声高に訴えてい るのに、独裁国家の台頭や憲法改正にはまったく無関心という人も多い。例え国家が亡んでも、人類が絶滅しなければ良いと考えているのだろうか。それもいかがなものか、と思うのです が……。
人は誰しも、自分の考え・思想・価値観をまず認めて欲しい! と切望しているものです。
しかし、それを最優先にしている限りは、真の問題解決に繋がらないのではないでしょうか。独裁国家の台頭も、地球環境問題や地球温暖化も同じくらい大きな、 我々に科せられた難問であり、みんなが共に議論し合い、解決策を探っていくべきでしょう。
環境学の世界的な権威・山本良一先生が15年以上前から予言していたように、大雨や猛暑などが日本全土を襲うようになり、世界各地で異常気象が頻発しています。そして、これから世界の気候は年々おかしくなっていく、と先生も指摘しています。
また地球環境問題だけでなく、国際情勢にしてもだんだん状況は悪くなっています。まさに歴史のターニングポイントにさしかかっている人類。
今号の取材で森林探求家・稲本正氏がおっしゃった言葉が非常に印象に残っています。「よく地球が危ないとか言われますが、人間さえ滅べば地球は危なくないのです」
年金問題が日本中で大きな話題になりましたが、大人たちは様々な情報をちゃんと収集し、20~30年後安定した国際社会や日本が続くことの方が厳しい、という現状認識をしっかり持つべきでしょう。
だからといって、いたずらに悲観するのでなく、どうしていくべきなのか? と一人ひとりが考えることが非常に重要です。世界は人々の共同作業で成り立っているのです。少なくとも、自分一人の未来しか頭にないような大人ばかりだと、状況は厳しくなる一方なのでしょう。
4月下旬、久しぶりにお会いした浅見帆帆子さんが、「すごく良いことがあるので、早起きして掃除しています」と嬉々として語られました。その表情とお話にものすごい説得力を感じ、私は生まれて初めて(?)朝トイレを丁寧に掃除したのです。トイレの後、廊下と玄関も。するとなぜか不思議なくらい頭がすっきりして、その日は本当に良いこともあったのです。それから毎朝、早起きし、顔を洗って歯を磨いたらまずトイレ掃除、それから20分くらい玄関や各部屋を掃除します。連休中の2日は、気になった場所の徹底的な大掃除も敢行しました。すっかり掃除にハマってしまいました。
それまで朝は苦手だったのですが、トイレ掃除をすると、どうしてこんなに頭がすっきりとするの? 不思議になるくらい効果があるのです。本誌第29号では、奈良・大神神社の鈴木寛治宮司が「掃除は神道の原点なのです。身の回りが汚れていて、心は綺麗だと言っても通用しません。掃除は自分を磨くことと同じです。人間が清まっていけば、神様と波長が合い、共鳴することができるのです」とおっしゃっていました。ようやく、その真意が実感を伴って、分かりかけてきたところなのです。
和合インターナショナル主催 〈神社復興チャリティイベント〉
神社で目覚めよ!
~浅見帆帆子先生と一緒に呼吸法・瞑想を体験しよう~
日時/平成31年7月20日(土) 午後2時~
出演/SUGEE(ミュージシャン) 、
浅見帆帆子(ベストセラー作家)、松井守男(仏レジオンドヌール勲章受章 画家)
キールタナ・マリアパン(アートオブリビング財団講師、ドイツ証券株式会社)
会場/神田神社 文化交流館「EDOCCO」
参加費/7,000円(全席自由)
プログラム/
●第一部・「瞑想と呼吸法の体験」
世界最大規模のボランティア組織、インドのアートオブリビング財団の専属の講師であるキールタナ・マリアパンさんに、世界155国3億7万人以上が体験した瞑想と呼吸法をご紹介していただきます。
●第二部・浅見帆帆子(ベストセラー作家)
●第三部・松井守男(仏レジオンドヌール勲章受章 画家)×中島加津子(和合インターナショナル名誉会長)
浅見帆帆子先生、松井守男先生たちに瞑想と呼吸法の感想の後、お二人の神々に導かれたような体験談等を語っていただきます。
環境学の世界的第一人者・東京大学名誉教授の山本良一先生から、「現代のジャンヌダルク」とスウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥンベリさんのことを教えてもらった時は驚きました。地球温暖化対策を促す力として、今、世界中で最も影響力があるとされている少女です。
彼女は2018年8月、政府に気候変動問題を訴えるため学校を休みスウェーデン国会議事堂前で単独で座り込みを始めます。12月には国連気候変動枠組条約第24回締約国会議(COP24)で演説を行い、地球温暖化に対する大人たちの無策や無関心を痛烈に批判し、早急な対応を求めています。
今年1月に招かれたスイスでの世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、大企業幹部らを前に「あなたたちにパニックになってほしい。家が火事になっているのと同じように行動してほしい」と危機感を訴えたそうです。
「今現在の私たちの行動の選択が、私の一生涯や子供や孫たちの人生に影響を与えるのです」
「現在のルールに従っていては、世界を救うことはできません」
視界が狭くなってしまった現代の大人たちには耳が痛い言葉ではないでしょうか。
「理屈による最悪の行為、それが戦争です。人類だけが戦争を 起こします。なぜなら、人は理由をもとに行動するからです。 人は自分の行動すべてに理屈をつけて正当化します。すべての 戦争には理由があり、その理由は戦争を正当化しているのです。 人類は理屈をつけて考えるということ自体を超越しなくてはなりません。」と、私が師と思う人物は語っています。
あらゆる物事というものは、様々な解釈ができ、より尤もらしい理屈によって白にも黒にも転じます。だからこそ、弁護士という仕事があり、真実(?)を争う裁判があります。互いの 意見を徹底的に主張し合い、何でも白黒つけたがる西洋的な考 え方が世界を席巻し、今では契約社会が当たり前。その根本にあるのは、まず他人を疑い、自分の権利・主義主張を最優先しようという精神でしょう。
ところで、『古事記』や『日本書紀』には大失敗もする、人間くさい神様がたくさん登場します。そんな様々な八百万の神々をお祀りしている神道だからこそ、今、理屈をつけて白黒つけ る西洋的な発想ではなく、寛容で、おおようで、「まあ、いいか」と許し合うような、穏やかな人間社会を提案しても良いのではないでしょうか。
アメリカの民間企業スペース X 社は、火星に居住地を建設するという壮大な計画を進めています。創設者イーロン・マスク氏が巨額の資金を調達できたのは、彼の主張に納得した資本家 がたくさんいたからです。その主張とは、「人類の未来は基本的 に、二つに一つです。多惑星に生きる種になり、宇宙を飛び回る文明人になるか、一つの惑星にしがみついたまま絶滅に至る かです」 フロンティア精神に満ちたアメリカ人らしい、実にシンプルな意見です。絶滅したくなければ宇宙進出するしかないという 主張なのですが、もうこの地球上に持続可能な世界を実現させ るという未来は本当にないのでしょうか?
たしかに、今年の夏、世界各地を襲った異常気象を一つとっても大問題で、「今や地球環境問題は非常に深刻な事態を迎えている」と環境学の世界的権威・山本良一先生は訴えます。そして、 ますます混迷を深める国際情勢......。「現在の日本を取り巻く状 況は明治維新の時と同じ」と元外務官僚トップは指摘していま す。だからこそ、私たちは今この時代に生まれてきた意味をしっ かり受け止め、未来を見据えた行動していかなければならない のでしょう。
未来は我々の手の中にあるのです。
本誌編集部には、不思議な、絶妙なタイミングで記事のネタや情報が入ってきます。
石平氏の著書『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』が送られてきた時も、まさにそうでした。ちょうど、世界最大規模のボランティア組織アート・オブ・リビング財団に招かれ、インドへ旅立つ直前だったのです。旅行鞄の中に本を入れて旅立つことになりました。そして機内で読み、インドへの旅の意義をあらためて実感することになったのです。
それは、聖徳太子の時代、国家的プロジェクトとして仏教振興政策が強力に進められることになった理由を、石平氏は中華帝国からの軍事的脅威に対処するための国策だった、と説明していたからです。「大陸からの文明の摂取にあたって中華帝国のイデオロギーである儒教よりも世界宗教の仏教の導入に熱心だったのは、まさにイデオロギーの面で中華帝国と対抗するためだったのではなかったのか。」と石平氏は記してます。
まさに今、日本が置かれている状況も、中華帝国の脅威にさらされていた聖徳太子の時代と酷似しているように思います。そこに、なんとも不思議な時代の巡り合わせを感じました。
世界の覇権を握るべく台頭する中国。任期が2期10年までと定めていた憲法を改定させ、終生、国家主席の座に居すわることができるようになった習近平。
石平氏が常々指摘している脅威は、ますます膨らんでいっているのです。
本誌連載中の植松規浩氏が「ぜひ、今号で紹介したい!」と熱く語ってくれたのが、所功先生から伺ったという皇居勤労奉仕の始まりのお話です。その日、植松氏から頂いた資料、終戦当時の待従次長・木下道雄氏の名文には、魂を揺さぶられる感動を覚えました。帰り電車の中でつい読んでしまい、涙が止まらなくなり困りました。11~12ページに掲載されていますので、ぜひ読んでいただきたいのですが、その一部をここに引用します。「私も悲しかった。誰も彼も悲しかった。しかし、それはただの空しい悲しさではない。何かしら言い知れぬ大きな力のこもった悲しさであった。今から思えば、この大きな力のこもった悲しさこそ、日本復興の大原動力となったのではなかろうか。」木下氏の語る「悲しさ」に、大きな力がこもっていたのは、天皇陛下の下に、皆んなが「一体感」をしっかり共有していたからだと思います。
そして、植松氏からお話を伺ったのと時を同じくして出会った、口永良部島の金峯神社・兼子好恵宮司からは、天皇皇后両陛下行幸啓の記事を紹介していただくことができました。素晴らしいタイミングです。本当にありがたいことに、『WAGO』は今日までずっと、こういう感動の連続で続いているのです。
神道と交流したいという、世界最大規模のボランティア組織である財団に招かれたインド。そこには、こちらの想像を遥かに凌駕する世界が広がっていました。西洋だけでなく東洋の叡智も学べる大学、貧しい子供達のための学校、西洋医学と東洋医学の診療が行わている総合病院、食品廃棄物等を有効利用した循環型の昔ながらの農場、貧しい人々に安価な良い生活必需品を供給するための工場、広大な財団本部とヨガの修行場……、そのスケールの大きさとクオリティの高さには圧倒されました。持続可能な理想郷ともいえる世界が具体的に追及されています。
そして最も驚いたことの一つが、財団のトップとそこで働く方々との距離感でした。私たちにヨガを教えてくれたインストラクターの三十代女性は、人生で初めて出会った失望させない師と尊敬しながらも、気軽に虫歯や彼氏の相談もしているといい、日本での意義ある取り組みの話をすると「私が師を引っ張っていきますから」と楽しそうに提案するのです。
みんなが大志を共有しているから、あらゆる施設の働く人々に夢と希望と自信が漲っています。人類が目指すべき「光」を見た思いでした。
先日、ある女性社長さんから伺った言葉で、中国か台湾の方が言ったそうです「日本人は一人一人は虫けらだ。しかし一つになると竜になる」。だからこそ戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はここを破壊しなければ日本を弱体化出来ない、ということで、個人主義とか「日本の家制度は古い」とか「これからは個性の時代だ」と教え込んでいった、と社長さんはおっしゃっていました。
その社長さんがとても感激したという、日本でイエズス会の人たちが布教を始めた時のエピソードも素晴らしかったのです。「イエス様を知ったら、死んだら天国に行ける」と宣教師が教えたら、日本人たちはみんなこう答えたのだといいます。「自分は知ったから救われるけれど、父親はイエス様を知らないで亡くなった。父親は天国に行けないのか。父親が地獄にいるのなら、自分も一緒に地獄へ行く」。困った宣教師が「日本だけ、あなたが信仰したら先祖も救われる、という布教の特例を認めて下さい」とバチカンに訴えたという手紙も残っているそうです。
失ってはいけない日本の「光」が、まさにここにあると思います。
「伊勢の神宮が2000年以上続けてきたことは、これからの世界が求める光の道となるのではいだろうか」と先月号で写真家・稲田美織さんがおっしゃいました。「光の道」という言葉がとても印象に残っています。今号でも森林探求家・稲本正さんが「『観光』とは『光』を観ると書くように、人々は本来『光』が観たいのです。今、人々が神社へ訪れるのはまさに心の『光』が観たいからではないでしょうか」と指摘しています。
次号でじっくりご紹介する、世界最大級のスラムで孤児や貧困児童たちのための駆け込み寺を運営している、アフリカ(ケニア)在住の早川千晶さんはスラムの人々に出会った時の感動をこう語っています。「どうしてこの人たちはこんなに悲惨な状況でも生きることを諦めていないのだろう? どうしてこの人たちにはこんなに生きる力があるのだろう? ここに『光』がある、この人たちと共に生きたい、と思ったのです」
『WAGO(和合)』は、これから人々を導いていくような、そんな「光」を伝える情報誌になろう! と早川さんのお話を聞いて思った次第です。
先日、インターネットで日本文化を全世界へ発信している方と打ち合わせしていて、あらためて気付きました。日本文化の核には神道が、八百万の神々を感じる精神がある、ということです。石や草木、山や川、風や雷、自然界のあらゆるものに「神」を感じる精神です。この場合の「神」は、「ゴット」や「クリエーター」ではなく、「魂」や「生命(いのち)」に近いと思います。
例えば、優れた仏師は「木から仏像を引き出す」と言います。西洋人は材料を使って頭の中の像を形にしていくのですが、日本の仏師は「木の中に仏像が埋まっていて、それを掘り出していく」と言うのです。また、今も庭師がバイブルにしている平安時代の『作庭記』には、例えば「石の乞はんに従え」と書いてあります。つまり、自分が置きたいところを探すのではなく、石の欲していることをとらえて、それに従って置きなさいと教えているのです。
日本の職人文化の本質がここにあるのではないでしょうか。扱う材料の「生命(いのち)」を引き出す。「美」は人が創造するのではなく、生命(いのち)に宿るのです。
今号は、神田神社で開催される「次世代のための環境シンポジウム・神社で目覚めよ!」(12月19日)に向けた大特集が組まれています。安倍昭恵総理夫人にも「神社で目覚めよ!」というのは良いメッセージだとおっしゃっていただきました。やはり、日本人が覚醒するため神社の役割は大きいと思います。神社に関わることをやればやるほど、それを実感します。
ここ一ヶ月、『神社年鑑』のために中国・四国・九州地方の神社を調べて原稿を書いていたのですが、今号の「一の宮を巡る」で東條英利氏が語った「神社の点と点がつながり線に、やがては面になり、さまざまな見方ができるようになった」ということを追体験することができました。神社を調べていくほど、日本の歴史や精神性、地域性がじわじわと浮かび上がってくるのです。
先日は、大和国一の宮・大神神社の新嘗祭に参列させていただき、鈴木宮司とご一緒に三輪山の磐座で祈りを捧げることもできました。三輪山の神気を浴び、魂が一気にグレードアップした気がします。何千年も受け継がれてきた祈りの場である神社、ご先祖様たちは凄いものを守り伝えてくれたものです。
6 年前に企画したベストセラー作家・浅見帆帆子さんの単行 本で、神社本庁総長・田中恆清氏に勧められ、伊勢神宮に参拝 したことが『WAGO』誕生の大きなきっかけになっています。
そして、今年12月19日、神田明神で、神社を起点にした環境シンポジウムを浅見さん、田中総長、そして安倍昭恵総理夫人、和田裕美さん、山本良一先生、神谷光德会長......、『WAGO』で出会った方々と開催することになりました。
鹿島神宮・鹿島則良宮司、鶴岡八幡宮・吉田茂穂宮司、枚岡神社・中東弘宮司にもご参加いただきます。
動くというより動かされている、と思うことが最近とくに多くなったようです。
第二十号の特集「日本の矜持」にしても、こちらが意図して企画したものでは無く、向こうから自然と集まってきたものなのです。
今号から連載していただくことになった、有職故実の研究家・八條忠基先生のお話は久し振りに魂を震わせるものでした!
今回登場したのは、神社で見慣れている目隠しの「壁代(かべしろ)」に描かれている文様「朽木形(きちきがた)」です。この文様は、平安時代に朽ちていく木の姿から生まれています。西洋人なら見向きもしないようなものに、神様の造形美を見出したご先祖様は天才です!
この文様、主張が強くないから、うるさくなく、飽きることがありません。しかし、確かな存在感があり、しっくりと落ち着く。まさに、空気のようにありがたい、神様の造形美なのです。
「こういうものがいくつも日本には残っているのです」とは、八條先生。
八條先生と有職故実との出会いは、日本の未来に光明を見出した思いです。
日本の良き精神性を次世代に伝えていきたい、と活動されている方がおっしゃていた言葉が強く印象に残っています。
「日本はすでにアジアで一番豊かな暮らしをしているのです。そして、世界中で一番安全です。
それなのに日本人は今、閉塞感に包まれ、沈んでいます。たしかに、老齢化や人口の減少等、
難しい問題もありますが、アジア市場へ目を向けたり、神社等の文化を生かし観光立国を目指す
等、いろいろやり方はあります。まずは、日本人として自信を持って、前向きで力強い心を
持つことです」
まったく、おっしゃる通りだと思います。
ある方の喜寿のお祝いパーティに参加しました。その方を慕う人々三百人が集う会でした。
その会で主賓クラスの某有名企業の元社長がおっしゃいました。「私の喜寿のお祝いパーティは十数人のささやかなものでした。三百人もの方々が集まって、こんなに素晴らしいお祝いの会をもうけてくれるなんて羨ましい」
会の最後で述べられた集まった方々へのお礼の言葉に、その秘密がありました。
「戦後の厳しい時代を親や夫を戦争でなくし、女手一つで二人の子供を育ててきた母は『人様に後ろ指指されるようなことだけはするな』『お天道様は見てる!』と毎日毎日、子供たちに言い聞かせてきました。そのおかげで、今日の私があるのです」
二十年近く編集という仕事に関わってきて、さまざまな成功者の晩年を見てきました。
一代で事業を築いたり、会社を大きくしてきた人たちは、やはり何よりお金儲けを最優先にしてきた人が多いと思います。奪い、奪われ、終わる事の無い椅子取りゲームに全身全霊を傾けてきた。そして最後は、孤独の中で世を去っていく。
しかし、喜寿のお祝いに三百人が集った方は幸せそうです。心から感謝している。
「世のため人のために生きろ、と教えてくれた母に感謝しています。私はそれだけを心がけてきたのです」
羨ましい人生です。
大国魂神社の猿渡宮司のご好意で、「くらやみ祭」のクライマックス「おいで」と呼ばれる神輿渡御を桟敷席で取材することができました。その迫力と人々の熱気には圧倒され、感動いたしました。やはり、ライブは違います! ! !
猿渡宮司との対談の中で窪寺社長がおっしゃっていた「お祭りが日本人の魂にスイッチを入れる」という言葉を実感しました。すっかりお祭りに魅せられてしまい、五日後に「神田祭」、その一週間後には浅草の「三社祭」へ行きました。
そして、あらためて地域社会における神社とお祭りの大きな存在感を感じ、神社という最強の社会システムを痛感した次第です。
そんな話で大いに盛り上がった天才プロデューサーのオキタリュウイチ氏には「これから『WAGO』を世界のリーダーたちの情報誌として立ち上げていくべき」とアドバイスされ、ご協力していただくことにもなりました。
『WAGO』の新章が始まります。
二十代半ばで植木職人を数年やって酒好きに拍車がかり、夕方になるとお酒を飲まずにはいられませんでした。「竹森は酒で死ぬな」とよく人にたしなめられたものです。
それでも三十年近く、お酒の欲望はコントロールできませんでした。
ところが、そんな欲望がほぼ消えてしまったのです。自分自身が一番驚いています。
きっかけは、今号でご紹介している環境学の世界第一人者・山本良一先生のお話を直にお伺いしたことでした。山本先生の膨大な科学知識と、洗練された高度な知性に導き出された未来予想は非常にリアリティがあり、衝撃的でした。
人間はこのまま肥大し続ける欲望をコントロールできずに、やがて滅んでしまうのだろうか? たしかに自分のお酒への欲望をコントロールできない……、そう思い至ると、その日も翌日も飲酒する気になれませんでした。すると、飲まないことが、意外と楽なことに気付いたのです。そして、お酒への欲望を制していました。
つまり、それくらい山本先生のお話は凄かった……というお話です。
本誌『WAGO(和合)』を通じた出会いが大きな渦となって生まれたものの一つに、「神社プラス1」という団体があります。ベストセラー作家の和田裕美さんが代表で、三年前から熊野本宮大社や神田神社等で講演会を開催してきました。
昨年は三月に一度イベントを行っただけでしたが、今年の「神社プラス1」は大きく躍進するはずです!
年内に神社で大きなイベント、世界太鼓フェスを開催しようと動き始めています。
人類はみな兄弟! 太鼓は古代から人々のコミュニケーションや娯楽の原点! というような思いが込めて。
このフェスの実行委員会の名誉会長が安倍昭恵内閣総理夫人で、今、神社を愛するいろんな人々が集まってきています。
日本文化の源流である神社を核にした、大きな動きが起きることにご期待ください。
今号でご紹介した作庭家・北山安夫氏は、さすがに世界的に活躍しているだけあって、日本文化に対する確固たる自信と信念に満ちていました。
「世界の人々が日本人に感じているのは、精神性というより、神秘性です。日本の神秘性、その根本にあるのが神社とお寺です」という氏の言葉には感動しました。本誌編集部としては「我が意を得たり」という思いです。
そして、「見えない御神体に向かって祈りを捧げ続けるのは、世界の宗教の中でも神社くらい。見えたから拝む、見えないから拝まないというような、即物的なことではない」という言葉。
それは、くしくも今号で熱田神宮・小串和夫宮司が語られた、三種の神器の一つ・草薙神剣をめぐるお話とシンクロしています!
フランスのシラク元大統領に、草薙神剣はお見せするものではないし、見るとしたら心の目で見るのだ、とお伝えしたというエピソードです。
やはり、これからのグローバル社会を生き抜くには、神社なのです!
『和合』という媒体は強力な磁石みたいに、記事のネタがどんどん向こうからやってきます。こちらの仕事は、流れ着いた素材をなるべくそのまま生かし、調理し並べる、といった感じです。
例えば、この第十一号では、伊勢神宮の桜や御装束神宝、日本の原点ともいえる奥出雲、さざれ石、富士山本宮浅間大社、「国生み」の社・伊弉諾神宮、日本経済を牽引する森トラストグループ代表•森章社長、安倍昭恵内閣総理夫人が世界発信すべきと推薦する「兵庫豊岡モデル」、漫画家・井上雄彦の伊勢神宮……、この号も日本を象徴するもの、日本を代表するものがぎっしりと詰まった一冊になりました!
これらを企画して集めようとしたら、我が編集部の規模ではとても無理です! 向こうから流れてきてくれるからこそ、ここまで集まったのです。
作っているというより、いつも作らされている『和合』です。
「和合」という言葉を最近、よく耳にするようになりました。
最新号でご紹介している、鹿島神宮宮司さんから伺ったお話、あの東日本大地震の一ヵ月後に鹿島神宮へ諏訪神社の神札(しんさつ)が大海原を漂流して辿り着いたそうです。
「今こそ、天津神と国津神が過去の経緯を水に流して和合し、日本再生のため力を合わせるべきなのです」と、鹿島宮司はおっしゃっていました。
また、次号で紹介予定の、美内すずえさんや表博耀氏の取り組みなども、天津神と国津神の「和合」がテーマとなっています。
今年は、伊勢神宮の式年遷宮と出雲大社の大遷宮の年です。東京・上野では大神社展も開催されました。まさに、日本の神々が躍動する年なのです。
今、見えない大きな力が動き始めたように感じているのは、『WAGO』編集部だけではないはずです。
神社大好きのベストセラー作家・和田裕美さんと、
「神社プラス1(ワン)」という神社、神道の素晴らしさを伝えながら、
日本再生のための方法を広く人々に提案していくグループを立ち上げました。
「日本をひっぱっていく集合体は、本来であれば政治やメデイアであるべきものですが、今の日本はこの重要なふたつが機能していません。だからこそ、という気がします」和田裕美
国家の存続さえ危ぶまれた明治時代、人口五千万人ほどのアジアの一小国に過ぎなかった日本が、難局をはね返して、世界の列強の一つに数えられるまでに興隆発展します。そのことは世界の驚異とまで言われ、欧米の植民地であったアジアの国々に夢と希望を与えました。
はたして、今の日本のそのような国力があるでしょうか?
高齢化が叫ばれているとはいえ、まだ明治時代の倍以上の人口はあります。当時に比べれば、経済的にも明らかに豊かです。ところが今、日本に明治時代の勢いがあるようにはとても思えません。
どうしてなのでしょう?
今の日本は、社員一人一人の心がばらばらになっている会社みたいなものかもしれません。社長や上司たちの非難中傷に明け暮れ、我が身の保身しか考えない社員ばかり。夢も希望も無い会社。
しかし、たとえどんな状況にあっても、皆の気持ちひとつでどのようにも好転するのです!
第三号から、伊勢神宮を撮り続けている写真家・稲田美織さんに登場していただくことになりました。昨年末、稲田さんのお話をじっくり伺った時、生まれて初めて「神さまっているんだな」と実感しました。それは四十九年間の人生において衝撃的な出来事でした。
すでに第二号まで『WAGO(和合)』を発行していたにもかかわらず、私は神さまの存在を百パーセント信じていなかったのです。科学的に証明されていないし、心のどこかで疑っていたのです。ちなみに、私がイメージする神さまは生命の源、魂みたいな、あらゆる生き物の中にある生命エネルギーのようなものです。(創造主である神さまがいるのかどうかは、まだ分かりません。)
その存在を確信してから、目の前の景色が劇的に変わりました。例えるなら、九十度しかなかった視野が百八十度になった感じです。日々生きていることが発見の連続なのです。(竹森)